厄はらい・方位除けの宮

高乃宮

■宮史■


 当宮は、全ての根源の神である「大祖参神」を祀っております。また、山岳の富士山・石鎚山・大峯山等の神々をも崇拝し、殊に富士山を基盤として祈り捧げております。

 富士道開祖角行は天下が麻の如く乱れ、苦しむ人々を救うのは神の力の他はないと、故郷肥前国(長崎県)から諸国修行の旅に出た永禄元年が扶桑教開教の年です。角行は、《天地平安・萬人安福》を真願として永禄3年、神告を受け富士西麓人穴(静岡県人穴村)に至り、生涯の修行の地と定め爪先立ち1千日大行の満願の時『仙元宮』の神示を受け、この《角行》という行名を授かりました。

 霊峰富士山は日本の中心にそびえ、日本大地全体が東天に向かって合掌した姿をなし、万物の根源であると角行は山頂を目指して登拝修行を重ねました。そして元亀3年6月3日、32歳の時初めて富士山頂で北辰を拝し大神との結霊を直受し『我は神 眼は日月 息は風海山かけて我が身なりけり』という富士神法を興しました。

 その後、元和6年80歳の時、人穴で受けた神告『仙元宮』の御神鏡を謹製御神威を籠めた『御神実』として現在本部大祇に奉斎しており、当宮はその御分霊を御祀りいたしております。 また、本部初代管長、宍野半が富士道(冨士講)の志を立て、管職(富士山本宮浅間大社宮司等)を一切辞して『富士山日本』を意味する『扶桑』を名称とし、明治15年11月《神道扶桑教》と改名を受けました。開祖以来、冨士講統は『他がために祈る』を柱とし、ここに教派神道を確立しました。当宮はその流れをくむお宮です。